物語を超えたと思えるような現実に遭遇しその僥倖に狂喜したとしても、それもまた物語として整理整頓されて消化し、消化されるという事を物凄いサイクルで目の前にし、且つ自らも実践するのがW杯だと思う。ここにきての中田の引退のニュースには流石に止めを刺されてしまったような感じがある。何時までたってもサッカーは理解できるものではない、サッカーに正解はない、という言葉も真実だと思うけれども、だからといってピッチの内外で起こる様々な不条理をそのままの形で放置しておく事はできる訳もない。それは良し悪しの話ではなくって、例え錯覚でも理解したという実感や理解できるという手応えがなければこんな不条理極まりない世界を眺めている事など出来ない、と思う。そうしなければならないのは必要でもあるし必然なのだと思う。うん。全てをありのままに受け容れられるほどのキャパシティがあるのなら、それは幸せな事か・・・どうかは凡人には理解の外である事だなぁとも思う、そんな今の心境。