群青の空を越えて
- 作者: アントンチェーホフ,Anton Pavlovich Chekhov,小田島雄志
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1998/12
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- 出版社/メーカー: light
- 発売日: 2005/11/11
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作中で「かもめ」は、前半共通部分での主人公達学生グループが学園祭でするための演目として取り扱われます。このパート、近い将来に過酷な戦場に駆り出される事になる学生達のささやかな思い出作りとして後半に彼らを見舞う出来事と対比させる意味、そし登場人物達を引き合わせるという目的の為に配されていると推測されますが、それだけなら「かもめ」ではなくても、更にいえば演劇でなくても代替は可能です。出店を出すといった事でもよいですし、リンダリンダを演奏することでも良い(笑)勿論、演劇であっても、「かもめ」であってもよい訳ですが。
ですが「かもめ」の作中での扱われ方は、これがテキストベースのADVである事を考えればかなり異例な形になってます。仲間内での練習場面、ヒロインと主人公での二人だけの台詞合わせ、実際の舞台の三箇所に渡ってメッセージウインドウを埋め尽くす長尺の台詞の引用が大量になされています。一人の台詞で3画面分の分量を費やしている事も珍しくは有りません。
これが映像作品なら、台詞の間でも役者の演技やカメラで、情景描写なり心理描写なりも入れられるのですが、このゲームのようなテキストADVでは、声の演技があるとはいえ、ひたすら本編との直接関係のない作品のテキストを延々と読まされるだけになってしまいます。プレイヤーの側で音声をOFFにされたら、声優の演技さえも無意味なテキストの垂れ流しです。書き手が馬鹿でないのなら、これだけの引用にはそれなりの理由があるのでしょう。例えば、ONE2をプレイした後でベートーヴェンの交響曲10番を聞く事には殆ど意味がなく、というかどこで聞けばいいのかもさっぱりだったり(因みFULLVOICE版では交響曲10番のくだりはカットされている(笑)Crecendoをプレイ後にチョコレート工場の秘密を読むことにも意味はないのですが、このゲームのプレイの際にかもめを読むことにはきっと意味がある、という理由で読了しました。前置き長すぎですか?(笑)
面白かったです。芸術家として成功へのを無邪気に抱いた田舎住まいのトレーブレフとニーナ。恋仲にあった二人では有るのだけれど、ニーナはトレーブレフの母親アルカージナの恋人でもある作家のトリゴーリンへの愛を選び都会へと去ってゆきます。二年後、トレーブレフとニーナ再会するのですが、ニーナはトリゴーリンには捨てられ女優としての成功も収めることもできなかったけれど、したたかに生きていく事を誓ってトレーブレフの元を去ります。一方、トレーブレフは芸術家として成功を収めていただけれど猜疑心から苦悩し破滅の道を選びます。
「群青〜」で作者がどういう意図で引用を行っているのか、何を何にかけて描いているのか、何となく見えてきたような気がします。トレーブレフのような未来を避けるための方策を主人公達が模索したり、ニーナのように強く生きる姿を描いたり、といったような所ふぇしょう。母親はトリゴーリンは体制や大人達、もしくは主人公の父親と彼が唱えた円経済理論の象徴といった所でしょうか?クリアした人の意見を聞いてみたい所です。