キミキスを前にTLSについての回想。

TLSの開発会社が現存しない一方での、TLSの流れを汲むでキミキスがやや異様なまでに話題に上っている事を見聞きすると、美少女ゲームの世界も様々な趣向を探っていく内に一回りしてしまったのだろうかと思ってしまったりしています。

恋愛絡みのゲームを分類する場合、協力なり補助といった形でするヒロインと一緒に目的を達成する物、ー RPGや育成系に多い形 ー、もしくは、ヒロインもしくは主人公の持つ物語を物語を解決する物(所謂泣きゲが代表例)、それと両者の複合型てな具合で分類できたりする訳ですけど、どの場合でも主人公の行動や能力が目標の達成や問題の解決に対して特別な役割を果たす事になっているのですが、ここら辺りのヒーロー性といえる部分を意識的に排除したのがTLSの一番の特徴であり受け入れた理由だと思ってます。

TLSは作中世界も登場ヒロインの中にも、主人公が活躍する、あるいは解決するべき舞台や物語が存在しないんですよね。「2」のシーズンキャラの場合はシナリオ性が強くなるのですが、プレイした方は判る通り主人公は基本的に傍観しているだけですし、その問題のスケールも単独で取り上げるのには馬鹿にしているのか?と思えるくらい些細な物だったりします。特別な事なんて何もこらない、ヒーローになんてなりようがない、ただ、朝起きて学校に通い親しい人間と会話を交すだけの生活。でも彼女を作る事くらいならできる、そこら辺りに実際の高校生活を重ねた人はそれなりに多かったように思います。

自分が見聞きした範囲ではTLSの魅力について「リアル」だとか「ノスタルジー」という言葉とセットで語られるケースが多かったように思いますが、勿論、あの当時においてですら時代遅れなラブコメ的センスでしかない登場人物の言動や超絶的なファッションの事等を抜きにしてもそれはやっぱり錯覚なのですが、それは決して不快な嘘ではなかった、というのが今になって思うTLSの魅力かな、と思ったりもしています。基本的には駄目な事は間違いないのですが。

キミキスについては良く判りませんけど、受けているのはそういう部分ではなさそうな感じですね。