ゲームの本質は映像ではありません(9bc)
http://d.hatena.ne.jp/Geemoku/20060608/p1
刺激的なエントリーだけれど、MSX時代の事を知っている古参ゲーマーなら、ハードの性能の進化がゲームで表現できる範囲を拡大し、新たな発見や価値を生み出してきた事は実体験として理解している筈なんですよね。MSXなんて解像度は256*192で表示可能色は16、横8ドット以内で3色以上表示すると滲みをおこしますし、スプライトは同一ラインに三枚以上重ねると表示がちらつく。そして記録媒体はテープでメモリーは64KB〜8KB。そんな世界にも面白いゲームがあったという言説なら否定しないけれど、そこからの進歩をゲーオタが望んでいなかっ、た、喜ばなかったという意見には首肯しかねるかなぁ。判っている筈なのに敢えて書いて居る辺りが面白いともいえるけど。

どちらの言説も、ハードの進化が単純に新たなゲームの価値の創出と直結しない(ように思える)現状への苛立ち、あるいはある種の贅沢病の産物なのかなぁ、となんとなく思ってしまいます。ハードの進化には意味がない、といわれても、現行機を捨てて昔のゲーム機だけの世界には戻りたくない、というのがゲーオタな自分の感想だし、それはどちらの言説の側も同じだと思う。でも、筆者の苛立ちにはどうしようもなく理解できる所はあるね。