砂糖をまぶしたパス―ポルトガル語のフットボール

砂糖をまぶしたパス―ポルトガル語のフットボール

表題の通りポルトガル、ブラジル、アンゴラというポルトガル語圏の国々に息づくフットボールとそれを取り巻く社会環境とその移り変わりを筆者の体験や思い入れなどを交えて綴った本。サッカーを通じて世界を知るというやや俗っぽい言い方がそのまま当てはまるともいえるかな。研究所や歴史書の類ではないエッセー風に、とりとももなく書いている印象が強いのだけれどそれでもこれらの国々が辿った一筋縄ではいかないない歴史や社会の有り様は窺い知れる。
敗因と

敗因と

もしかすると2006年大会を代表するサッカー本はこれなのだろうか?(2002年大会の暴露本もとい備忘録や98年大会の六月の軌跡、94年の狂気の左サイドバックのように。)
輝かしい未来と期待を背負って五輪の舞台に挑み、下馬評以上の成績を収めた代表が抱えていた問題。彼らが大会で残した輝かしい結果を、それとは裏腹な挫折と悔恨の物語として、金子の青さというかルサンチマンを秘めたともいえるような青臭さを持った語った金子のデビュー作「28年目のハーフタイム」から受けたインパクトの価値は今でも減ずるところはないと自分は自信を持っていえる。勿論、一般には広く知られていなかった代表内部の問題を、その中核に当たる人間から聞きだしたという事も大きい。

では、この本はというと・・・あの頃のような右肩あがりな夢を抱けなくなったせいなのだろうか、それともそれだけ年を重ねたせいなのかは判らないが、割と広く知られている代表内部の問題をただなぞってしまった、熱気のうせた本という印象しか受けなかった。

最も発言が期待されるべき人間達と向き合っていないのは決定的な傷だろうと思う。勿論、そういった手法自体が責められるものではないのだけれど、これまでの金子の仕事振りからすればなぜそこに踏み込んでいかないのか?という問題は当然のように残る。そして、金子達が敢えて(かどうかは判らないが)踏み込まなかった領域と態度こそが、ドイツ大会の失敗の本質なのだろうと逆説的ながらも見えてくるところにまた言い知れない寂しさと空しさを感じてしまう。

こんな本が出ていた事は不覚にも最近知りました。出版の時期からなのかアテネ五輪組への言及が多いのですが、誰のこととはいいませんがなんとはなしに馬鹿な子ほど可愛い、といった雰囲気がなんとなく感じられてほっとさせられたりします。教育者としての小嶺氏の信条が伺える好著ですが…小嶺氏のその信条が発揮される舞台は今度は国会へ…ついでにいえば南宇和では最高に格好よかったヒーローも参議院選に出馬…と考えるとなんだか複雑な心境にならなくもないですね。