万世一系のまぼろし (朝日新書 (026))

万世一系のまぼろし (朝日新書 (026))

去年、自分の一番の関心事は天皇性に関して交わされた一連の議論(と冥王星)だった。が、少なくとも自分の目に耳に飛び込んでくる情報というものはほとんどが自分にとってはただ気分を憂鬱にさせるものだった。現代の天皇家の後継者をどう決めるのかについてはあくまでも現代の自分達が引き受けるべき問題であり、それは現代の政治や社会通念とそれをどう未来につなげてゆくのかという事を抜きに語ることは当然の事だ。そのことに議論を差し挟む余地はない、のだが、Y染色体理論なんてものが声高に打ち出される議論などを見聞きすると歴史を学ぶことの無力、そして歴史家の無力というものを痛感させられたのだ。こんな所で「ナイーブなわたし」にカウンターパンチを喰らうとは思ってもなかったです。

理想論としては、だから自分は学ばなければならないのだと思う、と繋がらなければならないのだろうけれど中々これは難しい。という事で、雨雲の裏には青空なんてものはあるんでしょうか?と愚痴りたくなるような気分でこの類の本をちまちまと読んでます。何はともあれ何もしないままに勝手に(精神的な意味で)自沈してしまう事だけは避けたいとは思っているんですが。

オーレ! 01 (BUNCH COMICS)

オーレ! 01 (BUNCH COMICS)

漫画の感想は以前にも書いたので省略。期待を裏切らない面白さという一言で十分でしょう。

スペリオール誌の「ヤンチャボ」は打ち切られてしまったけれど、モーニングではツジトモの「ジャイアント・キリング」が開始されたり(でも個人的な意見としてはツジトモには「スリーストライクス」で連載を勝ち取ってもらいたかった)と、何気に青年誌では元気なサッカー漫画。これらの漫画や、や少し前にバンチに掲載された短期読みきりの漫画や、やや古い「U-31」、「フットボールほど素敵な商売はない」なんかを含めてみるとはっきりした共通点がありますよね。どれも「がけっぷち的な(もしくは最底辺に近い)状況からの挽回・成り上がり」が題材で、こんなにもテーマが被っているのはどうなのよ?、という気もしないでもなかたりします。ある意味治外法権的ともいえる陽一先生が描く超人たちの競演的な物への反発なんでしょうか?・・・そんな訳はないだろうとは思いますが、こういった状況(?)を肯定的に捉えてみるとするならサッカーをとりまく世界の懐の深さ、裾野の広さ −引退ぎりぎりのロートルでも、なにもない0からはじめたチームでも、解散ぎりぎりの瀬戸際なチームでも陽のあたる世界を目指すことが許されるのだ ー という事なのだろう…やっぱり考えすぎだろうか。と、いう事で次に青年誌でのサッカー漫画の連載を考えている漫画家や編集者には別な切り口を用意して欲しいかな、などと思ったりもします。

ひまわりっ ~健一レジェンド~(3) (モーニング KC)

ひまわりっ ~健一レジェンド~(3) (モーニング KC)

元々は作者の父親、健一の奇抜な言動をネタにしていた漫画の筈だったのに、いつのまにか漫画のメインストーリーがラブコメ少女漫画のパロディーになっている上に劇中劇、というか作者のえがいている漫画内でもまた駄目な少女漫画を笑いのネタにして遊んでいるという、徹底振りが面白い。連載最新話での陳腐すぎる筋書きのラブコメ漫画をいつもの面々が小芝居で演じた話(配役が絶妙!)は、爆笑するとともに、これを素直に笑ってしまってもいいのだろうか?自分が普段楽しんでいる諸々の物語も、作中のアキコが描いた陳腐な筋書きの漫画と一体どこが違うというのだろうか?というある意味での後ろめたさみたいなものも感じないでもないです。ちょっと怖いですよね(笑
極道めし 1 (アクションコミックス)

極道めし 1 (アクションコミックス)

囚人なのに食バトル、しかも妄想で!というとち狂った設定が最高にイカしげるの最新作。

ゴラクの巻頭も含めてワンパターンすぎる表紙だけはなんとかして欲しい所ですが(笑、大真面目にほら話を描くという意味ではしげるは今最高に輝いているファンタジスタだと思う。なぜ、しげるがこの路線で650万部を売り上げた少年ジャンプ編集部から引き抜きの声が掛からないのか自分には全く理解できません(殴)実態は、自分の近所の書店の棚で、竹書房近代麻雀他)新潮社(バンチ)日本文芸社ゴラク)辺りのコミックとひとくくりにされて無秩序に陳列されている状態で・・・と思っていたら何気に平積みされていたり、となんだか訳のわからない扱いをされていたりしてます。ちなみにそこの書店には「オーレ」はなかたです。「グラメ」や「コンシェルジュ」はあるんですが。